自転車を盗まれてしまった。開いた口が塞がらない、とはまさにこういうことを言うのだろう。とんだ「大うつけ」をしでかした。途方に暮れる以外になかった。二人の旅人は、心に決して浅くない傷を負ってしまった。
翌朝、なぜかやたらと早くに目が覚めた。モーテルのチェックアウトを済まし、再びサンフランシスコの街へ繰り出す。そこには「落ち込んでいても仕方ない」と前を向こうとするでもなく、ただ「自転車を盗まれた」という事実から目を背けようとする自分がいた。観光でもして気を紛らわそう。いわば現実逃避だ。
昼過ぎ、スターバックスで遅めのランチを取ることにした。この貧乏旅行にあっては、スターバックスはちょっとした贅沢といえる。「まあ今日ぐらいは」と財布の紐が緩む。気づけばコーヒーをおかわりしていた。
二杯目のコーヒーが喉を通過したとき、ふと我に帰った。背筋がすっと伸びるような感覚。自転車を盗まれたという事実、これとようやく向き合う覚悟が決まったのだ。答えはとっくに決まっていた。ここで落ち込んでいても仕方がない。盗まれたものは仕方がない。問題はこの先だ。そういえば、出発前にはかなり大口を叩いていた。道半ばで諦めるという選択肢は当然ない。
最終的に、夜行バスでロサンゼルスに行くことに決めた。運良く二つだけ席が空いていた。バスで行け――。神からのお告げだとさえ思った。チケットを迷わず購入する。その先のことはロサンゼルスで考えたら良い。サンフランシスコから一刻も早く抜け出そう。前に進もうではないか。
二人の背中を押した要因に、保険金の存在がある。幸いなことに海外旅行保険なるものに加入していた。自転車の保証書、警察からの報告書、保険金を下ろすために必要な書類はすべて兼ね備えている。あとは審査結果を待つだけ。買って間もない自転車だった。間違いなく保険金は下りるだろうと確信できた。
夜行バスに揺られること8時間、ようやくロサンゼルスにたどり着いた。ロサンゼルスといえば、数多くのハリウッドスターが居を構える世界有数の大都市。期待は膨らむ。
そんな期待とは裏腹に、ダウンタウンへ向かう途中の道でいきなり米国社会が抱える「闇」に直面してしまった。路上には一面のテント。ボロ切れのような毛布を身にまとったホームレス達が歩道を埋め尽くす。金をくれ、食べ物をくれ、タバコをくれ。物乞いの嵐だ。持っていない、と首を振る。するとなんとも言えぬ哀しい目でこちらを見つめてくるのである。
彼らは皆一様に、ただ生きることに必死だった。いわゆる自尊心やプライドみたいなものを失ってしまっている。多くの者は、路上で暮らすことや物乞いをすることに違和感すら持っていないように映った。現状を打破しようという意思を持つことすらできなくなってしまったのだろうか。目はどこか虚ろだった。
無論、薬物に手を染める者も多い。スーパーの倉庫の前でカートをなぎ倒し、暴れ狂うおじいさんを見た。なぜかズボンを履いていない。きっと幻覚でも見ていたのだろう。「人が逮捕される瞬間」にも遭遇した。警察犬による取り調べの末、ポケットから薬物が押収されるまでの一部始終。ただただ唖然とするばかりであった。
米国という国が持つ「光」の部分だけに惑わされてはいけない。そう強く感じた。そして米国という国が持つ「闇」の部分を伝える義務が自分にはある。そんな責任感にも似た感情が沸いてきた。
人間はいつも空に憧れて、そして、空に近付く度に歓喜してきた。挙句、空をも通り越しアポロ11号は月面にまで到達した。しかし、足下を見なくてはいけない。光り輝く摩天楼の下では、今日もホームレス達が寒さに震えながら物乞いをしている。彼らの哀しみは、地下深くにまで根を張っている。
スラム街を抜け出した頃、ひとつ朗報が飛び込んできた。どうやら保険金が下りるらしい。即決だった。新しい自転車を購入する。自転車にまたがると「やってやるんだ」という気概が蘇ってきた。いまさら後ろを振り返るまでもない。次の一歩、次の一歩を踏み鳴らせ。メキシコはもうすぐそこだ。
(海老 桂介)