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オーバンに残る日系史

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当地日系移民の歴史を探る上で欠かせないのが、日系墓地の存在だ。シアトルでいえば、キャピトルヒルにあるレイクビュー墓地は、日系人区画は広範囲になり、毎年のメモリアルデーの戦没者慰霊祭が開かれている。またクイーンアンにあるマウント・プレザント墓地は、大北鉄道の路線事故で犠牲となった多くの日系移民工夫を慰霊している。
 こうした日系墓地において特異なのが、オーバン市のパイオニア墓地だろう。1860年代の移住者による墓地を始まりとするが、グリーンリバーの洪水などで多くが丘の上の墓地へ移る中、20世紀以降は、徐々に移住者を増やしていた日系移民の墓地として利用されることになった。
 資料によると、1900年段階で、オーバン地域には432人の日系移民が生活していたという。1912年建立の白河本願寺は1914年、オーバン市からパイオニア墓地の東端から25フィートの区画に日系墓地設置を認可され、また同所の管理を任された。オーバンに居を構え、今3世代目となる夏原ファミリーが長年にわたり、清掃を含めケアを続けたという。メモリアルデーには白河本願寺の主催による特別法要が毎年行われている。
 墓地に入ると、寺田、夏原、田辺、山下、山田、米谷など、墓石に名前が刻まれている。数は120ほどあるという。現在当地日系社会で活躍、このオーバンの墓地を縁とする関係者も少なくない。
 同所は8月、同市とキング郡から歴史史跡としての認定を受けた。初期の墓石はコンクリートで作られ、長年にわたる雨、あるいは洪水で浸食し、ほとんど文字が見えない。また破壊された形跡のあるものも少なくない。今後、同地に足跡を残す日系人、またオーバンの貴重な歴史資料として保存活動が進められる。
 オーバンは白河本願寺の盆踊りが毎年開催されているが、近年は同地における日系史を振り返る関連イベントが続いている。別の歴史史跡、ニーリー・マンションの庭には、堀一家が利用した外付けの風呂場が再建された。同市ホワイトリバーバレー博物館では、日系人収容所関連の展示会が11月まで行われている。パイオニア墓地もまた100年以上続く歴史の象徴として加わることになる。
 (佐々木 志峰)


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